「お久しぶりですね」
ジェイドは赤毛の青年に声をかけた。
青年というには少し幼く感じられるその人の実年齢は20と言うべきか、10と言うべきか、はたまたは生後半年と言うべきか悩むところでもある。

そんな青年は少し眉間に皺を寄せて不快感をもろにだすが口だけ笑ってみせて「久しぶり」と返事をした。
実際にジェイドがルークとアッシュの住むチーグルの森のはずれにある家に訪れたのは1ヶ月ぶりだ。

とは言っても、ジェイドはアッシュがルークをこの世に引き戻してから毎月1回は必ず訪れていた。
何故か、ルークの体調管理もあったが、それだけではなく、ルークが毎晩見る悪夢の為だ。

3ヵ月前にルークが何気なく零した「俺の過去なんてみんな夢の中なんだよ。俺がいつも見る恐ろしい悪夢のね」、その言葉の為だ。
その時に「興味がありますね、詳しく聞かせてもらえませんか?」そんな事を聞いたのだと思う。
ルークは視線を彷徨わせて、「俺には話すことなんてたいしてないよ?ただ夢を見てるだけだ。」と話を打ち切られた。
しかし、その1ヵ月後に訪れた時にルークは自分から口を開いた。
緑の瞳が黒く淀んで見えるような表情だった。
ジェイドの記憶が正しければ、それは『ルーク』がよくしていた表情だ。

「どっちがいいのか、考えてみたんだ。話して、それらを思い出してしまう事と、話さないでそれらが頭から消えてくれるように願う事、 どっちがいいのかなぁって。でも、話したってそれが消えてくれるなんて事ないし、話さないでおいたからって消えてなくなるようなもんじゃないんだ。」

ジェイドはアッシュからルークが夢で過去を見てる事を聞いて知っていた。
しかし、ルークがそれをどう捉えているかまではわからなかったし、アッシュも知りえない事だった。
ただ、アッシュの前では絶えずルークが笑って、それをただの夢として話している事しか知らなかった。

「悪夢は毎晩のように見るんだ。時々、悪夢についての悪夢を見ている様な感じもする。 でも、そうじゃない。違うんだ。悪夢についての悪夢を見るって言ったってアレは夢なんかじゃなくて、現実だったんだ。 俺はたくさんの人を殺したんだ。」
ジェイドの目の前にいるルークは確実に自分の見る悪夢を現実、自分の過去として捉えている。
何故、アッシュの前ではただの夢として話し振舞うのか、それを問えば「アッシュが俺の事を、あの事、 どれくらい理解してくれるか分からない。当の俺にだって殆ど理解できてないんだから。」そう答えた。

ジェイドに話すのは、それだけ信頼しているから、と言う訳ではないだろう。
その真逆、信頼も何もないどうでもいい存在だから話すのだろう。

「俺の過去にあるのは穴だけだ。真っ暗な穴だよ。未来にだって待ち構えてるのはきっともっと大きくて暗い牙を揃えた口が開いてる。 俺がいたとこは、どこでもない。地獄の一丁目とかそんな感じのとこだったんだと思う。これから俺が向かおうとしてるいるのもきっと 似たようなとこだよ。」

ルークは瞳を潤ませながらに言った。
きっと過去の夢の所為でアッシュのことも信用しきれないのだろう。
それでも、アッシュに夢の話をした後、アッシュが「ただの夢だ、忘れちまえ」と頭を撫でてくれるその瞬間だけは アッシュを信じられるような気がして夢の話をするのだろう。
今のルークにはアッシュしかないのだから。
ルークの心を支配しているのはたった一つのもの、恐怖だ。
苦痛に対する恐怖。
暴力に対する恐怖。
それは精神的なものから肉体的なものまで様々だろう。
それらにはまったく際限がない。
いつ終わるのかもさっぱり分からない。
すべて、アッシュの周りの気分次第でルークが何をしたかという事はまったく関係がなかった。
昔のアッシュも、ルークに対して、どんな事をしてもたった1つのリアクションしかしなかった。怒鳴って、殴って、蹴りまくるのだ。

ルークにはいつまでも頭かから離れないことが2つある。
1つは何かの理由でアッシュが鋲付きののベルトで打たれたことだ。
実際にルークが何をしたのか、やったのか、そうじゃないのか、どっちにしろ同じ事でされた事実だけが頭に残っている。

もう1つ覚えているのはアッシュが買ってきた犬を繋ぐ鎖で滅多打ちにされたことだ。
拳で殴られたとか、足で酷く蹴られたとかそういう事は特に覚えてはいなかった。
きっと毎度のことだったのだろう。
それなのにルークがアッシュに抱く感情は1つしかない。

大好き

それだけなのだ。
そうして、ルークは笑顔の仮面を貼り付けた。
自分はどんなに痛めつけられても平気だと言う事をただ1人アッシュに伝えるために。

だが今のアッシュはどうだろう。
昔と変わりルークにことさら優しい。
それは自分が昔の『ルーク』ではないからなのか、否、むしろ何故自分をこの世に戻したのか。
分からない事を、明確にしたかったが、明確にしたその先の暗闇に恐怖して現状ルークとして生きている。

それでも初めて悪夢を見た時は余りの恐怖に枕を濡らした。
それに気付いたアッシュが優しくルークを宥め頭を撫で、胸に抱き寄せるその全てに現実と夢の境が分からなかった。
分からなかった事に更に涙を溢れさせた。

それからアッシュは更に優しくなった。
それまでアッシュとルークはファブレ邸にいたが、人間に対する疑心を持つルークの為に『ルーク』に最後まで懐き傍に寄り添っていたミュウがいる チーグルの森の近くに住まいを移した。
邸を出ても、アッシュは公爵家の者としての公務はこなす事は変わらず、多忙な日々をすごしていたが、ミュウやその他のチーグルにルークのこと頼んでいるので 心労はそこまでではないようだった。

それよりも現状問題はルークだ。
ルークはアッシュの影響で絶えず見る『ルーク』の夢に侵されている。
身体は成人のものでも、記憶を持たず、赤子同然でこの世に戻されたルークの脳は『ルーク』の記憶を処理しきれないでいた。

公務で忙しいアッシュはルークのアッシュに対する些細な変化に気付いていない。
ジェイドと入る時のルークが語る異様なまでのアッシュへの恐怖と執着。
それは『ルーク』のものだった。

「だって、アッシュは俺を見てるからそうしてたんだ。」

お前たちとは違う。
まるでそう責めるようにジェイドに言う。

「アッシュがいるから、生きられたし、今も息をしてる。何か間違ってる?」

間違ってはいない。
アッシュがルークを作ったのだから。

「この先、きっと俺は同じ道を進む、でもそれでいいんだ。優しいアッシュって嬉しいけど、なんか気持悪い。」

ジェイドはその言葉に「そうですか」とだけいうと座っていたソファから腰を上げた、と同時に玄関の扉が開きアッシュが入ってくる。
ジェイドを見ると眉間に皺をよせ、だがルークのように口元だけでも笑って見せるような事もなく「来てたのか」と一瞥するだけですぐにルークが座っている隣に腰掛けた。
ルークは今迄の話しが嘘のように満面の笑みでアッシュへ抱きつき「おかえりなさい」とい自分の頬とアッシュの頬を摺り寄せた。
アッシュもなんでもなさそうに「あぁ」とだけ言うとジェイドにさっさと帰れと目配せする。
それに肩を竦めてジェイドは「では」と玄関へと歩を進めるがフっと振り向けばさっきと打って変わって黒く淀んだ瞳で「傍にいてね」とアッシュにキスをねだるルークがいた。
そのルークに気付いているのか、いないのか、アッシュは「あぁ」と不敵に笑うとルークの望むまま噛み付くようなキスをしていた。